第71章

それから――何かあったら、いつでも僕に電話しろ。どこにいようが、なにをしていよう

が、いつでもお前の力になる」

「あはは、何それ、格好いい」

羽川は笑った。

いつも通りの笑顏で。

「何かって、何よ」

「それは、だから――」

「うん、わかったよ、阿良々木くん」

そして、言った。

「何かあったら、すぐに電話するから。メールでもいいよね?」

言った。

そう言ったものの――

結局、ゴールデンウィークの間中、僕の攜帯電話に、羽川からの著信も羽川からのメール

も、ただの一回たりともなかった。

必要なときにそこにいるということ――ただし。

僕はこのとき、命の恩人である羽川から、全く必要とされていなかったということだ――人

戀しかったけれど、それは単に、八つ當たりする、憂さを晴らす、そんな相手が欲しかっただ

け――必要とされてもいないのに、僕は無様にも、そこにいたのだった。必要とされていたの

は、貓だ。

貓。

怪異には、それに相応しい理由がある。

それから僕達は、それまでの會話には一切觸れず、蒸し返すことなく、これからのクラスの

予定について、話し合うことになった。主として文化祭についての話だ。している內に、クル

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マに轢かれて死んでいる貓を見つけた。首輪がないところを見れば、野良貓だろう。尻尾のな

い、白い貓だった。元々尻尾のない種なのか、路上生活の末に千切れてしまったのか、それは

わからない。白い貓――見方によっては銀色のようにも見えるが、しかし、どちらにしたっ

て、自身の血の色に染まって、その地毛の色は台無しだった。一度轢かれた後、何度も後続車

に轢かれたのだろう、酷い有様である――羽川は迷わず、當たり前のように歩道から車道へと

出て、その貓を拾い上げた。

「手伝ってくれる?」

羽川にそう聞かれて、頷かない奴はいない。

僕達は、近くの山にその貓を埋めてやって――こうして、四月二十九日、羽川と僕にとって

悪夢の九日間の最初の一日、プロローグとしての一日は、幕を閉じたのだった。

この初日のことを、この初日に僕と交わした會話のことを、羽川がどこまで憶えているのか

は、わからない――羽川は羽川のままだったから、貓を埋めたことくらいは憶えているにせ

よ、しかし細かいところまでは、記憶を失うときに、まとめて失っている可能性は高い。殘念

ながら確認のしようがない――確認をした途端に、頭の切れる羽川には露見してしまうから

だ。


ともあれ。

枕は終了、ここからの話は単純だ。

翌日、僕は、特に用はなかったのだけれど、なんとなく暇を持て余して忍野の住む學習塾跡

へと足を向け、忍(當時はまだ忍野忍という名を與えられてはいなかったが)の様子を見て、

忍野とは適當に雑談をした。

その內に、昨日埋めた貓の話を含めた。

なんとなく――ではない。

嫌な予感は、していたからだ。

春休みの地獄に――近い気配。

「阿良々木くん。それは――」

忍野は、目を細めながら、確認した。

「まさか、銀色の貓じゃなかっただろうね――」

最終的には、この雑談が効を奏した。白い髪、白い貓耳で、ブラック羽川(命名?忍野メ

メ)と化し、夜な夜な町で好きなだけ暴虐の限りを盡くしていた怪異――障り貓を、ゴールデ

ンウィークの最終日、五月七日に、捕らえることができたからだ。

九日目。

十日を迎えていれば危なかった。



? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

そう

ぼうぎゃく

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らしい。

スピード解決――とも言えたが、この場合、ぎりぎりとしか言う他なかった。

忍の協力もあって(この手柄で、彼女は忍野から、忍野忍の名を頂戴することになる)、羽

川が魅せられた障り貓を封じることには成功し――問題は解決した。

言うならば、あっさりと。

複雑な問題ほど、あっさりと解決するものだ――何故なら、解決したからと言って、問題が

消えてなくなってしまうわけではないからである。

トランス狀態。

羽川に、ブラック羽川の間の記憶はない――だから。

ブラック羽川が、最初に襲った相手が、自分の今の両親であることを、彼女は知らない――

その記憶も戻ったのだろうか。

僕は、それが、心配だった。

「記憶の問題はねえ」

と。

ゴールデンウィークから數えて一ヵ月一週間ぶりに姿を見せたブラック羽川を、一瞬の手際

で縛り上げて(前回の教訓が活かされている)、一通り話を聞き出したところで(とは言え、

例によって、ブラック羽川の言うことはにゃーにゃーうるさいばかりで僕にとってはまるで要


領を得なかったのだが)、縛り上げたブラック羽川をその教室に放置して(『彼女』は僕達を

言葉汚く罵ったが、それは無視)、僕と忍野は、四階に三つある教室の內、さっきの教室から

離れている方の一室へと移動した直後に――火のついていない煙草をくわえてから、忍野は、

そう切り出した。

向かい合い。

今度は、忍野と二人で話す番だった。

「フェイタルなところは、問題ないっちゃ問題ないとは思うよ――どうしたって、ブラック羽

川の間の記憶は、委員長ちゃんとは相容れないものだから、さ。ただし、委員長ちゃんとして

の記憶の方は、厳しいね。そっちは、今回は、消えてなくなったりしないと思う。今回は、前

回とは事情が違う――委員長ちゃんが完全に自覚しちゃっている」

「自覚してたら、まずいのか?」

「自覚自體はそれほどまずくはない。問題は『委員長ちゃんが』って方だよ、阿良々木くん。

阿良々木くんも知っての通り――委員長ちゃんは、ちょっとばかり、聡明過ぎる。普通の人間

の百倍くらい、頭の回転が速い。材料があれば、それを繋ぎ合わせて、記憶を構成することく

らいは容易だろうと思う」

ののし

あいい

? ? ?

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「記憶を――構成」

「前回は、ブラック羽川の記憶も委員長ちゃんの記憶も、完全消去できた――ノーヒントだ。

怪異を丸ごと封印できたから、必然的に、怪異に関する記憶もなくなった。結果がなくなれば

原因もなくなるってことさ。だから、記憶の辻褄が合わなくても、辻褄が合わないこと自體に

気付かない。

けれど、今回は、言うなら穴埋め問題になってしまうということだ。文章から、

ところどころ、肝要な部分が抜け落ちているという感じ――正確無比にと言われれば完答は無

理だろうけれど、どういうニュアンスの言葉がそこに入るかくらいは、勘のいい人間ならわか

るだろう?」

「國語のテスト――みたいなものか」

國語は苦手だ。

だけれど――羽川に苦手な教科はない。

「仕方ないか――前回の記憶までは戻らないってんなら、それを不幸中の幸いとするべきだろ

う。羽川にとっちゃ、辛いところだけど」

前回は、怪我の功名と言えたけれど。

今回は、不幸中の幸い、だ。

「いやあ、僕としては、委員長ちゃんにとっては、いいことなのかもしれないと思うよ――怪

異に曳かれた人間は、その後も怪異に曳かれやすくなってしまう。それは阿良々木くん自身

が、今もって體験していることだ――委員長ちゃんも