第31章

念そうだった。

僕は慌てて、話題を切り替えるように、

「千石の方こそ」

と言った。

「よく、僕のこと、憶えてたな。ちっちゃい頃、何回か遊んだだけの相手のことなんて。しか

も、友達の兄貴だろ? 普通だったら、そんなこと、忘れちまうよ」

「撫子、あんまり、人と遊ぶこと、なかったから」

千石は言った。

「あの頃、放課後まで一緒に遊ぶような友達って、ららちゃんくらいだったし……」

ららちゃん、というのは、僕の下の妹のことだろう。そうだ、確か、あいつは、家に連れて

くる友達から、そんな風に呼ばれていた。小學生の頃のニックネーム。『あららぎ』の、真ん

中を取って、『ららちゃん』――だ。今は上の妹と合わせて、栂の木二中のファイヤーシス

ターズだけど……。

変われば変わるものだ。

人が変わるのは、當たり前のこと。

まあ、あの頃と言うならあの頃の僕はと言えば、妹が家に友達を連れてきて、その遊びに付

き合わされることを、迷惑に思っていたところがあるからな……。

女の子と遊ぶのが恥ずかしい年頃だった。

そんな感じだ。

「ららちゃんとは、中學で別々になっちゃったけど……、ららちゃんや、暦お兄ちゃんと遊ん

だことは、全部、大切な、思い出だから」

「そっか――」

にぶ

つが きにちゅう

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だったら――いいんだけれど。

ちなみに、千石に対して、僕と神原がそれぞれに抱えている怪異のことについては、伏せて

いる。ある程度その方面にかかわりを持っていることを、匂わせている程度だ。明かしてし

まってもいいのだが、あるいは信頼関係という意味ではそうするべきなのかもしれないが、し

かし、千石の追い詰められたメンタルを加速させかねないということで、神原との相談の結

果、そういう配慮をすることにしたのだった。だから千石は、どうして神社に行けば神原の気

分が悪くなるのか、多分、よくわかっていないだろう。霊感が強いから、程度に理解している

のかもしれない。そう考えても、まああながち、間違いではないのだが。

「撫子、一人っ子だから」

千石は言った。

「お兄ちゃんって――羨ましかった」

「………………」

それは、ないものねだりだと思う。

妹のいない人間が妹を欲しがるようなものだ。

僕だって、兄や姉、弟が欲しいと思うときがある――それを持つ人間を、羨ましく思うこと

はある。ただ、しかし、僕のように実際に妹を持つ人間と、一人っ子の千石の意見とは、また

別なのかもしれないな。

一人っ子――か。

「そう言えば神原。お前、兄弟は――いないよな」


「いないぞ。私も一人っ子だ」

「そっか」

戦場ヶ原もそうだよな。八九寺も、羽川も。

なんだ、一人っ子ばっかりじゃないか。

忍は――どうなんだろう。

吸血鬼には、兄弟って、いるんだろうか?

「よし――著いたぞ」

一番前を歩いていた僕が、當然、一番乗りだった。

神社跡。

荒れ果てた、うらぶれた風景。

お劄は変わらず――貼られたままだ。

「神原。気分は大丈夫か?」

「うん。思ったより平気だ」

にお

はいりょ

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「何か馬鹿なこと言ってみろ」

「私は車の中で本を読んで、酔って気分が悪くなるのが好きだ」

「何か面白いことを言ってみろ」

「仕方ないではないか! やらなければお金をくれないと脅迫されたのだ!」

「何かエッチなことを言ってみろ」

「好きな女の子が処女かと思ったら猩々だった」

「よし」

最後のが軽く微妙だが、まあ、大丈夫なようだ。

脇で、千石は腹を抱えて、ぶるぶると震えながら、うずくまっていた。どうやら相當、ツボ

に入ったらしい。

やっぱり笑い上戸だ。

どうやら會話の內容以上に、僕と神原とのやり取り自體を面白がってくれているようだが、

まあそれはそれで、観客としてはいいリアクションなので、そんなに悪くないな。

「じゃ、さっさと……とっとと準備するか」

「阿良々木先輩、今の、どうして言い直した?」

適當な場所……つまり、草木がそこまで傍若無人に茂っていない場所を探し、その四方に、

それぞれの持っていた三つと、鞄に入れていたもう一つの懐中電燈を設置する。スクエアの、

中心を照らすような配置だ。

地面は土。

その土に、その辺りの木の棒を使って線を引き、懐中電燈同士を繋いで、本當にスクエアを

形成する――いわゆる結界という奴だ。相當に簡易式だけど、それで構わないと忍野は言って

いた。結界は、とりあえずは區切られていることだけが重要――なのだそうだ。スクエアの中

に、ビニールシートを敷く。このビニールシートも、勿論雑貨屋で購入したものである。

そして、そのスクエアの內部に――千石が這入る。

一人で。

スクール水著姿で。

「………………」

その水著は、雑貨屋で購入したものではなく(そんなものは雑貨屋には売っていない)、ブ


ルマーと同じように、神原が『たまたま』準備してきたものだった。

「……お前は懐中電燈を買う金も持ってなかった癖に、なんでブルマーやらスクール水著やら

を持っていたんだ」

「お金よりも大切なものが、世の中にはある」

しょうじょう

ぼうじゃくぶじん

かばん

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「僕もその通りだとは思うが、それはブルマーやスクール水著じゃない」

「私としては阿良々木先輩の好みに合わせたつもりだったのだが」

「合わせるな」

「好みなのは否定しないのだな」

確認すると、やはり千石は、結界の中で、小さく笑っていた。……このギャグ一つのため

に、お前はこんな古びた神社の中、スクール水著姿でいるわけなのだが、笑っていていいのか

……。

ともあれ。

蛇祓いの経過を見るために、長袖長ズボンのままではまずいということで、術式の最中には

肌の鱗痕が見えるようにしておくこと、との忍野からのお達しだったのだが、さすがに屋外

で、ブルマー一丁というわけにはいかない。それはもう、正直者の僕でさえ忍野に隠し通した

ことではあるが、僕の部屋で、千石から蛇切縄の痕跡を見せてもらったとき、うっかり彼女が

胸から両手を外

してしまうというハプニングがあったりしたのだから、尚更だ(一旦泣きやん

だ千石がもう一度泣いた)。

というわけで、スクール水著だった。

神社で著替えたわけではなく、小學生みたいに、家から、長袖長ズボンの下に著てきたの

だった。スクール水著では、腳の鱗痕は見えても、體幹部分はほとんど隠れてしまうから、被

害の具合は分かり辛いのだが、ただ――気の持ちようなのか、鱗の痕が、首の辺りにまで掛

かっているように、僕には見えた。夕方に見たときよりも――巻き憑きが、進行している……

のだろうか?

ならば、急いだ方がいい。

見えないだけで。

千石の身體には――今も大蛇が、巻き憑いている。

僕は忍野から渡されたお守りを、千石に手渡した。

「で、真ん中に座って……シートの上な。そのお守りを力一杯握って、目を閉じて、呼吸を整

えて――祈れば、いいんだってさ」

「祈るって……何に?」

「何かに。多分、この場合は――」

蛇。

蛇神。

蛇切縄。

「わかった……頑張る」